秦野南地区の神社・道祖神
路傍にある道祖神を巡るハイキングもいいものです、ほとんどが江戸時代末期の制作とわかりました。

関東三大稲荷の一、宇迦之御魂命(うかのみたまのみこと)を主神とする。農業の神様である。毎年2月の初午祭、この日は、遠く東京や伊豆方面より2万人以上の参拝者が訪れ、バス通りまで続く参道脇の露店はいっぱいの人だかりとなる。

今泉地区の氏神様。祭神は、建御名方之命(タケミナカタノミコト)、品陀和気之命(ホンダワケノミコト)。 社の沿革によれば長禄年間(室町時代)、諏訪大社より移し奉ったとありました。

尾尻、大竹地区の氏神様。鶴峯八幡神社とも称し、鎌倉時代、相模の三鶴といわれ高名な八幡神社であった、北条政子の安産祈願所であったことが神社の説明文に記されていました。祭神は、誉田別之命

平沢地区の氏神様。祭神は倭建之命、大巳貴命、少名彦命他。 明確な創立年は不明だが建久三年頃よりあったようだ。慶長十三年、徳川家康が鷹狩り寺当神社に参拝したと記録にある。境内には樹齢800年を越す大欅2本がある。

明治十三年、出雲大社より分祠、境内は広く境内内に、湧水地があります。

震生湖畔に鎮座する奈良・天河弁財天の分祠、弁財天は芸術の神様であり、芸術、学問に功徳ありと記されていました。

その昔、この辺りの家では、男の子が産まれるのが少なかったという、そして男の子が授かるようにと石の男根が道祖神に据えられた。ところが小さい物では持ち運ばれていたずらされてしまう、それなら動かせないような大きい物を。ということででかいです。 男の子が授かりたいかた是非お参りください。十数年前までは、この辺りは水田がありホタルの名所でもありました。

建立年安政の頃かなです。この辺りほとんどが幕末期なのでその辺りと考えています。

上町会館の近くにある双体道祖神です。

震生湖公園上の尾根道傍にあります。尾根道を馬で運搬していたのでしょうか明治の銘がありました

西町の旧道横にある道祖神です。安政2年建立の銘がありました。幕末からあるんですね。

駒形宮前に座する双体道祖神です、碑に銘がないので正確な建立年は不明ですが、隣の石碑には安政2年とありました。

中町のマラセの神近くのL字カーブにあります、他の道祖神と同じく天社神と並んでありました。建立年は読めなかったので不明です。

西光寺境内にあります、双体道祖神です。近くにある天社神には安永元年と刻まれていましたがこれは平成17年とめちゃめちゃ最近のものでした。

畑中バス停角にある双体道祖神です、建立年は読めませんでした。

中町のマラセの神近くのL字カーブにあります、他の道祖神と同じく天社神と並んでありました。建立年は読めなかったので不明です。

西光寺境内にあります、双体道祖神です。近くにある天社神には安永元年と刻まれていましたがこれは平成17年とめちゃめちゃ最近のものでした。

建立年不明、天社神碑の横にひっそりとあります。