秦野南地区の名所・旧跡
秦野市の南側に東西に連なる丘陵を渋沢丘陵といい、四季を通じて家族連れの良いハイキングコースとなっています、この丘陵上及び近くには名所・旧跡が散在 しています。ハイキングの途中に立ち寄るのもいいかと思います。観光ルートについては、駅構内にある案内書にて秦野観光ガイドマップを入手して参考にされ ると良いのではないでしょうか。場所については、下記の地図をご参照ください。

室町時代、一色伊予守の館跡と伝えられる。永享の乱後、長尾氏らに攻められ伊予守は逃亡、その後城は破棄されたものと考えられる。現在は畑の中にぽつんと石碑とそれを覆う1本のブナの木があるのみ。

関東大震災時、谷が陥没、小川をせき止めて誕生した最も新しい瓢箪形の湖。特に秋の紅葉、春の桜は湖面に映え美しい。
湖畔には、寺田寅彦博士の句碑があります(写真(中)
写真(下)は、11月初旬の景色です。

秦野総合高校より渋沢の頭高山までの尾根道。正面に富士山、左手には丹沢表尾根、大山、右手には、雨上がりの晴れた日は遠く伊豆大島、利島まで見晴らせる。
金井場配水場より南(相模湾)方向を望む
・尾根道より西には富士山を望む。
・尾根道傍にあるそば畑より北には表丹沢を望む。
・東方向は、平塚市街から江ノ島をはじめ、横浜のランドマークタワーを確認できます。

渋沢丘陵と中井町砂口集落の間の窪地
昔は、名前の通り、大雨が降ると池になったという。池窪の最南端にお堂がありこの中に安置されています。台座によると江戸時代(天明二年・天明の大飢饉のあった年)建立とあります。農村は、悲惨な状況にあったとのことですが、観音様は実に穏やかな顔立ちをされています。

関東大震災のとき、秦野の街に行っていた二人の女学生が帰宅しなかった,方々捜したが、わからない。この碑付近で土砂の崩落があったのでこの辺りで埋没遭難したものと判断され、供養塔が建立された。

平沢峯坂の頂にあったが関東大震災により枯れ今はない。