秦野南地区・語り部運動資料

思い出の井戸
平沢第一老人クラブ 山口ツヤ

私は、本町の曽屋で生まれたので、小さい頃より水道を使っておりました。
そして、昭和の初めに祖父の所へ養女に来ましたところが、祖父の所では井戸水でした。 深く掘って、井戸車をつけ、縄のついたつるべでカラカラと水を汲み上げたのです。
 祖父の所では、表に一ヶ所、裏に一ヶ所掘ってありました。その裏の井戸水を飲料水、 風呂桶、洗濯用にと毎日使っていたのです。隣近所の家でも、皆、井戸が掘ってあり、その 水を使っていました。
 祖父の話では、「この水も井戸替えをするのだ、一家で一つの井戸水なら、度々かえなくて もいいが。一つの井戸を三、四軒で共同で使っている所もある。そういう所は、必ず一年に 一度は井戸替えをしないと、落葉が入ったり、ごみが溜まるので、必ず掃除をするのだ。 という。
 「井戸替えとは、井戸の中にはいり、底の水を全部、汲み上げて、中をきれいに掃除するので、 井戸替えは大変の事なんだ。」と、私はよく云い聞かされました。  すると間もなく、ポンプに変り、すいこを手で上下にあおいで水を出すようになりました。  ところが、風呂桶が遠い所で、そこまで持って行くのが、私には大変のことで、バケツ一杯 汲んではは休み、又、汲んではは休みしておりましたら、祖母が、私の姿を見て、「一杯の水も 出して使うのは、大変なことなんだから粗末にしてはいけない」 私に云って聞かされましたが、 その時は、かったるいのであまり観じませんでした。  あとで考えて見て、本当にそうだと、私は思って、今日になっても、おばあちゃんの言葉は 耳について忘れません。  そのうちに、水も蛇口をひねると、ジャージャージャージャーと水がでる水道になりました。 私達ありがたい毎日です。 お水は大切に使いましょう

御嶽神社と御嶽道
宮町老人クラブ 草山貞胤

昭和八年、台風の時、御嶽神社の杉の大樹が倒れました。その年輪は九百八十年余りで、其処 にある欅も千年近い老木で、当御嶽神社の歴史の古さを物語っています。
 慶長十三年、徳川家康が鈴張の地に鷹狩りの後、当神社にお休みになった時、社殿が古いので 再建を奨められ、二六戸の氏子が、立派に再建されました。現在の中宮は当時の物で、彫刻等 誠に立派です。
 御嶽道の名前は、建久三年(一一九二)の頃より出て来た。それは神職の家が中丸の地にあり、 神職の神社への通り道が狭いため、両側の住民がお互いに三尺ずつ下がり、二間道路にされた。 それから御嶽道とよばれるようになったという。

軽便鉄道と競争
北町長寿会小沢房吉

六十年以上も昔のこと、私が小学生のころでした。JR二ノ宮駅の附近の小高い山の上に、吾妻 さんという神社があります。毎年一月十六日がお祭りで、いろいろと行事がありましたので、人出が ごった返すほどの賑わいでした。
 秦野と二ノ宮間と遠い道中でしたが、年寄りから子供までがよく歩いて行ったものです。
 その頃、秦野と二ノ宮間を軽便鉄道という小さな汽車が走っていました。速度が早くないので、 子供のことですので、軽便汽車と競争をやったこともありました。上りへ行くと子供の方が早いし、 下りへくると汽車の方が早い。小さい汽車でも機械で走るのですから、止むをえません。
 今とは違って、昔の人は何処へ行くにも、ほとんどの人が歩いたものです。

スズ虫取り
西上町老人クラブ 佐藤カネ

一銭銅貨を使用していた頃、スズ虫でお金になった事のお話です。
農家の子供の私共には、お正月やお祭り日の時だけしか親からお金は戴くことはありません。当時 でも煙草屋さんの店先にはお菓子や果物が置いてありました。目にしてたまらない程食べたいと 思った子供心を忘れません。
 そんな私達の部落へ毎年東京のスズ虫買いのおじさんが夏休みになると三日位泊り、子供達の 集めたスズ虫を買っていかれました。
 夏休みには煙草の収穫、乾燥の忙しさ。子供まで手伝いをする処でした。家の者の昼休みに、 山へ行くことを聞いてから出かける。
 新聞紙で袋をつくり、コップを持って行く。林の中でのスズ虫とりは、まき山後の根本辺を見つけ ては従横と口で息を吹き乍がら、はいずる形で走り廻る。スズ虫を見つけつかまえた時は、うれしさ 胸一ぱいですが、穴蜂にさされたり、バラに引っかかって顔を傷つけたり苦しみもする。苦あれば 楽ありで、毎日少しずつ集め、まとめた数の分が金に代る時二十銭、三十銭、自分達の手にお金 が入る。このお金は親も取りません。子供にとっては大金です。このお金はどんな使い方をしたで しょう。一銭の買物にも時間がかかります。食べたい菓子を見るだけ、やっぱり長く味わうものと言 えば、アメ玉の一銭で四個になってしまうのです。そして学用品のエンピツ、ケシゴムなど買物には 自分で使う。子供の頃の無駄使いが出来なかったことが、しっかりと身に泌みついてか、物の豊か な時代の現在ぜいたくが出来ない私です。

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