秦野南地区・語り部運動資料
思い出の井戸
平沢第一老人クラブ 山口ツヤ
私は、本町の曽屋で生まれたので、小さい頃より水道を使っておりました。
そして、昭和の初めに祖父の所へ養女に来ましたところが、祖父の所では井戸水でした。
深く掘って、井戸車をつけ、縄のついたつるべでカラカラと水を汲み上げたのです。
祖父の所では、表に一ヶ所、裏に一ヶ所掘ってありました。その裏の井戸水を飲料水、
風呂桶、洗濯用にと毎日使っていたのです。隣近所の家でも、皆、井戸が掘ってあり、その
水を使っていました。
祖父の話では、「この水も井戸替えをするのだ、一家で一つの井戸水なら、度々かえなくて
もいいが。一つの井戸を三、四軒で共同で使っている所もある。そういう所は、必ず一年に
一度は井戸替えをしないと、落葉が入ったり、ごみが溜まるので、必ず掃除をするのだ。
という。
「井戸替えとは、井戸の中にはいり、底の水を全部、汲み上げて、中をきれいに掃除するので、
井戸替えは大変の事なんだ。」と、私はよく云い聞かされました。
すると間もなく、ポンプに変り、すいこを手で上下にあおいで水を出すようになりました。
ところが、風呂桶が遠い所で、そこまで持って行くのが、私には大変のことで、バケツ一杯
汲んではは休み、又、汲んではは休みしておりましたら、祖母が、私の姿を見て、「一杯の水も
出して使うのは、大変なことなんだから粗末にしてはいけない」 私に云って聞かされましたが、
その時は、かったるいのであまり観じませんでした。
あとで考えて見て、本当にそうだと、私は思って、今日になっても、おばあちゃんの言葉は
耳について忘れません。
そのうちに、水も蛇口をひねると、ジャージャージャージャーと水がでる水道になりました。
私達ありがたい毎日です。 お水は大切に使いましょう
軽便鉄道と競争
北町長寿会小沢房吉
六十年以上も昔のこと、私が小学生のころでした。JR二ノ宮駅の附近の小高い山の上に、吾妻
さんという神社があります。毎年一月十六日がお祭りで、いろいろと行事がありましたので、人出が
ごった返すほどの賑わいでした。
秦野と二ノ宮間と遠い道中でしたが、年寄りから子供までがよく歩いて行ったものです。
その頃、秦野と二ノ宮間を軽便鉄道という小さな汽車が走っていました。速度が早くないので、
子供のことですので、軽便汽車と競争をやったこともありました。上りへ行くと子供の方が早いし、
下りへくると汽車の方が早い。小さい汽車でも機械で走るのですから、止むをえません。
今とは違って、昔の人は何処へ行くにも、ほとんどの人が歩いたものです。