秦野南地区・語り部運動資料
河原淵水神講
諏訪町長寿会 石塚秀雄
諏訪町の水神講は、河原淵水神講という名で呼ばれている。
昔は、今の諏訪町と今川町一丁目が一つで河原淵といった。昭和二年、小田急が出来て、河原淵
は線路で分断されてしまい、南側が諏訪町、北側が今川町一丁目に分かれた。 お神輿をかつぐのは
、今でも一緒である。
河原淵水神講は、毎年五月三日におまつりを行うが、昔はその年に長男が嫁取りをした家と、新しく
分家した家とが費用を出して、毎年水神講のまつりを行ってきたが、現在は部落で行っている。
池久保のお観音様
新田長寿会 高橋小満江
南地区南ヶ丘と中井町砂口の道境の大原博さんの畑の片隅にお観音様が祀ってあります。
昔、私達は「池久保のお観音様」と呼んでいました。この池久保は、長雨が続くと深さ三米、広さ
三町歩位に水がたまってしまいます。今までに四回もたまったようです。
この水のたまった時に、ここで近所の青年が死にました。そこでて天保二年に大岳院の仁左衛門
他四名と砂口五名の有志の方々で、この観音様が建てられたようです。其の時は酒匂川が氾濫した
二宮金次郎さんの時代のことだったようです。
このお観音様が、昭和四十二年に夜の内に何者かに持ち去られてしまいました。
その後、大原さんのお家では長男の方がなくなられたり、不幸が続きましたので、これはお観音様が
災難にあったためではなかろうかと、現在の観音様を建立されたものです。