秦野南地区・語り部運動資料

河原淵水神講
諏訪町長寿会 石塚秀雄

諏訪町の水神講は、河原淵水神講という名で呼ばれている。
 昔は、今の諏訪町と今川町一丁目が一つで河原淵といった。昭和二年、小田急が出来て、河原淵 は線路で分断されてしまい、南側が諏訪町、北側が今川町一丁目に分かれた。 お神輿をかつぐのは 、今でも一緒である。
 河原淵水神講は、毎年五月三日におまつりを行うが、昔はその年に長男が嫁取りをした家と、新しく 分家した家とが費用を出して、毎年水神講のまつりを行ってきたが、現在は部落で行っている。

正月の粥行事二題
今川町長寿会 上村ミツ

(一)七草粥
 正月六日の夜、前日、お諏訪様の傍らの田圃の畦から採って来た、セリ・ナズナ・(ペンペン草)・ こおにたびらこに、だいこん・小松菜・人参・ごぼうを加えて木鉢に入れ、神棚の下へ供えたあと すりこ木・お玉・しゃもじ・包丁をかわりばんこ使って、まな板の上の七草を、「ナン、ナン七草なずな、 唐土の鳥が日本の国にわたらぬ先に、合わせて、バッタ、バタ。バッタ、バタ」と、唱えながら、トントントンとたたく。これを家中のもの全員がやる。 翌七日の朝には、主婦だけが前夜と同様に七草をたいた後塩と少量の味噌を加えて、七草粥をつくる。
 この日が、今年の味噌の使い始めで、七草までは味噌汁はつくらない。
(二)十五日粥のこと
 正月十五日には小豆粥もつくる。この時は佐藤を入れた小豆粥をたべる。自分の好きなだけ砂糖 を入れてよいので、子供の時は何よりこの粥が待ち遠しかった。 この時の粥は、全部たべずに少量残しておき、十八日の朝皆で一口ずつたべることになっている。
 むかしから、戦の時の兵糧の食いのばしのためにした習わしだといわれてきた。

池久保のお観音様
新田長寿会 高橋小満江

南地区南ヶ丘と中井町砂口の道境の大原博さんの畑の片隅にお観音様が祀ってあります。
 昔、私達は「池久保のお観音様」と呼んでいました。この池久保は、長雨が続くと深さ三米、広さ 三町歩位に水がたまってしまいます。今までに四回もたまったようです。
 この水のたまった時に、ここで近所の青年が死にました。そこでて天保二年に大岳院の仁左衛門 他四名と砂口五名の有志の方々で、この観音様が建てられたようです。其の時は酒匂川が氾濫した 二宮金次郎さんの時代のことだったようです。
 このお観音様が、昭和四十二年に夜の内に何者かに持ち去られてしまいました。
 その後、大原さんのお家では長男の方がなくなられたり、不幸が続きましたので、これはお観音様が 災難にあったためではなかろうかと、現在の観音様を建立されたものです。

平沢堀田の稲荷様
三協長寿会 加藤日吉

平沢堀田の加藤日吉宅のお稲荷様は、祖父の三代前に勧請され祀られあったと聞くが、祭神は不明である。
 堀田地区では、毎年、戦前よりの家十五戸が、各家の正月の屋内飾りの品々を、初午の日に加藤家お稲荷様の前でお焚きあげをしたあと、十五戸全員が、当家で稲荷講を行っている。

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