秦野南地区・語り部運動資料

目一つ小僧
臼井戸長寿会 高橋フミ

十二月八日,二月八日は、目一つ小僧が来る晩です。
おじいさんが「今夜は、目一つ小僧が来るから、ゲタやはなむすび(ワラで作った、ゾウリの半分の大きさのもの)を全部家の中に片付けな」と、子供 達に言いつけました。
「どうして入れるの」と聞いたら、「はきものが外に出ていると、目一つ小僧に ハンコを押されてしまい、そうすると、百日の病にかかってしまうのだよ」と言って、子供達にはきものを、全部家の中へ片付けさせました。
そしてどこの家でもみかえごを長い竹の先へさして玄関に立てて 置くと、目一つ小僧が来て、目がたくさんあるカゴを見て、おどろいて帰ってしまうのだと、年寄りが孫に 教えてくれました。
 *この話は、鶴巻地区にもあるようです。

思い出二題
平沢第一老人クラブ 富田トリ

(一)関東大震災のこと
私は学校卒業後直ぐ秦野専売局のタバコ工場に勤めました。その時十四才でした。
 実家は、寺山で毎日、落合坂を往来するのですが、この坂には、大きな欅が何本もあり、昼でも薄 暗く、独りで通る時は、とても怖くて、歩けませんでした。
 冬は日が短いので、四時を過ぎると、暗くなって来てとても怖く、それで仲間の人と一緒に、十人位で通っていました。
 専売局では、毎朝朝礼があり、中庭に祭ってあるお宮にお詣りしていましたが、震災の時、工場の中 があまりにも激し言われ、皆で、手を合わせて拝みました。
 工場の機械は、大きく床にボールトで、強く据え付けてあり、全然動きませんでしたから、機械も人も 何の被害も怪我もなく無事でした。
 工場は、男女合わせて八百五十人位居て、他に職員も居り、全部で千人位居たと思います。
 地震が始まり無事であったことをお宮様にお詣りしてお礼を言いました。
 帰りは工長さんから「十五人位づつまとまり代表者が所と人数の報告をいて帰るように」と言われて、 その様にして帰りましたが、途中まで、父が心配して、迎えに来てくれたので、ホッと安心して帰れま した。
 (二)道祖神のこと
 五十年も前になるだろうと思います。南町峯会館におリン様というおばあ様の信者が住んで居られ ました。ほんとうによく、人だすけをして下さいました。
 私が地蔵様にお詣りに行き、帰ろうとした時、突然「あなたに出来るかな」といわれて、「私にできることでしたらやってみます」と申しました。「毎月月の十四日に道祖神の草取ができる」といわれ、私の顔 を見て「どうかな」と申されました、私は喜んで「草取を私にさせて下さい。必ず月の十四日にいたします。」と誓いました。
 そのときおばあ様が「ちょっと一つ気になる事がある、女の人に言うてもな、むだよな」と言われて、「でも聞かせて下さい。」とお願いしましたら、」何十年後に、道祖神に看板が立つよ。なにかわ知らん。
かわいそうだが、男子病人絶えず・」といわれた。 私は信心者のおばあ様に厚く御礼を申し上げたことを覚えている。
 この道祖神が、「畑中バス停」の処にある現在の道祖神です。以来、私は毎月十四日になると草取 を実行しています。 おばあ様は、その後、亡くなりましたが、平塚市須賀の人でした。

今川町馬頭観世音堂について
今川町長寿会 山口益夫

よく馬頭観音の石碑等は各所に見受けられますが、堂として建て残され、世話人会で毎年馬頭観音 の、供養と町内住民の無病息災を祈願する例祭を町内の大きな行事の一つとして行っている。
このような例は数が少ないと思われますので、今川町馬頭観世音堂について述べてみたいと思います。
(一)観世音堂は中今会館の前に在ります。この中今会館附近は、かって馬場であり、草競馬も行われ、人が多く集まり、かなり賑わったと聞いております。
(二)今川町馬頭観世音堂が建てられたのは詳しい資料が無いので不明ですが、現在の中今会館の場所に在り、昭和三十九年に中今会館が建てられたため、その前に移されたのが現在の観世音堂 で、これまで、本尊として祀られていた石碑(正面に馬頭観世音、右側に大正六年一月再建、施主 山口浅次郎と刻まれた高さ45cmの文字碑)は堂の前に移され、現在は昭和四十四年十月に造られた馬頭観世音菩薩像が本尊として祀られており、供養例祭は、例年十月五日に行っております。

お稲荷様のお告げ
今川町長寿会 加藤二三子

関東大震災の翌年のことです。裏にまつられていたお稲荷様がつぶれて、雨ざらしになってしまいましたが、家をなおす方が先で、お稲荷様があとまわしになってしまいました。
 或る日の夜のことです。よく晴れて、月がこうこうとと出て居りました。床についた私がしばらく眠って、目をさまして南の障子の方を見ると、人間の頭のような陰が、左右にゆれておりました。あまりの 恐ろしさのあまり、皆んなを起して、外へ出てみましたが、そういう陰ののうつるようなものは、何もあ りません。それから気味が悪くて眠れませんでした。
 その翌日、昔は、いろいろとみる人がいて、祖母が、みてもらいにいって来ましたら、その人の言われることにに「お稲荷様が、雨ざらしになっているので、なおしてくれ」とのことです。
 早速、なおしてお祈りをして貰いました。その後は、そのようなことは一度もおこりませんでした。
 このお稲荷様は、私の実家、名古木五四八、小泉和夫方にあります。

語り部の目次へ