秦野南地区・語り部運動資料

道祖神
 新町長寿会 美濃川 好

私の子供の頃は、一月十四日の道祖祭りをダンゴ焼きと呼んでいました。
 学校から帰ると、半紙を二つ折りにしたものを長くつないで「奉納道祖神」と書いて、畑の片隅にあった、道祖神の回りに立ち並べ、持ち寄った門松等に火が着けられると字がうまくなるといわれて、皆んな一生懸命でした。
 その頃は、藁葺き屋根の家が多く、飛んだ火の粉で火事になることも多く、母から出掛ける時によく 注意されました。
 近頃、道祖神の祭りもさびれて寂しい思いがしています。子供の成長を願う行事をまた盛り上げて 欲しいと願っています。

室について
今泉西上長寿会 小磯晴治

私の子供の頃の秦野の農家はタバコ作りが盛んで、当時のタバコは秦野葉といって、収穫から納付 まで、総て一枚一枚の作業でした。
 専売局に納付する最後の作業の、十月下旬から十一月上旬になると、寒さも厳しくなり、室を作った ものです。
広さは三坪位で、土を一尺位掘り下げ、その上に丸太と竹で骨組みして、藁で屋根から 周囲を囲い、土間に厚く藁を敷いて、その上に筵を敷き、南側に出入り口を一ヶ所設けます。
先住民 の住居のようですが内部は暖かく、タバコの異常乾燥も防止出来る重宝なものでした。農家の知恵 だったのでしょう。この室は二月か三月ころまで使っていたように記憶しています。

つるまき坂の狐
西上町老人クラブ 小林佑子

つるまき坂を上り学校道に出る。向い側に狐山が見える。 坂を上ると、ひといき土手に腰を下して 、一ぷく煙草を吸い休んだが、つかれてとろりとすると狐に化かされて、あっちこっちとさまよって困った そうだ。 
また夜遅くなると、待っていて、「お送りしましょう。」と言ったそうだ。
 或る時、今日こそと坂を上がってくると、向こうの山で、白い狐が何か頭からかぶっているのが見えた。また人を化すのだと思い、これはよい所を見た。今夜は一つやっつけてやろうと、土手に腰を下ろして、煙草を吸い、口に含んで待っていると、案の定美しい娘に化けて、「おじさん、送りましょう。」と 言った。そこでいきなり、含んでいた煙草の煙を吹きかけた。すると娘は尻を端折り、あわてて山に 向かって逃げて行った。
それからというもの、化かされなくなったそうだ。

南町の稲荷様と地鎮講
平沢第一長寿会 栗原荘蔵

平沢峯の栗原丑光さん所有のお稲荷さんは、風邪をひいたときにお参りして「治ったら飴玉をお供え します」とお願いすると、風邪が治ると言われていました。私も小学校の二、三年生の頃、二回お参りし
たことがありました。明治のころは近所の人や、北町の方からも大勢お参りに来られたようです。今の
若い人は迷信と言われるかも知れませんが、今でもお飴玉を供えられるお年寄りもあります。
 南町峯の地区では今も豊作や家内安全の祈願の為、地鎮講を行っています。何時の頃始まったのか判りませんが、以前畑lヶ中組、峯組と四軒屋組の三組の地鎮講の組がありました。昔は午後四時
頃から集まって「、豊作と家内安全の祈願が終わると酒盛りとなり、今年の作柄のことや雑談で賑やかに過ごし、当番の家では夕飯の接待までされました。
 昭和十年頃峯組と四軒組が合併して十六戸で峯講中となり、三十五年頃畑ヶ中講も合併し、南町と
して祀りを行うことになり、宿も当番制でなく会館でするようになりました。会員も二十七名でしたが、
年を経るにつれて農家も少なくなり、今では峯地区だけで、春秋の彼岸に近い「つちのえ」の社日に
若い人達で実施されています。
 組は一つになりましたが、今でも三組の地鎮さんの掛軸を掛けて祀っています。

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