秦野南地区・語り部運動資料
おしやもっつあん
上今川町長寿会 櫛田市郎
私の子供の頃、諏訪町の杉の開戸に大きなカヤの木がありました。その根本に小さな社があり「おしやもっつあん」と呼んでいた。
その当時一日、十五日、二十八日に赤いマンマを供えて拝みに行った
人が相当あったという。
そのカヤの木は落雷で半分焼けて、社も今は無いが、「おしやもっつあん」にはその名のとおりご飯をよそる「しゃもじ」を祀ってあったようである。
中にはお茶をあげた人もいたらしく「おちゃもっつあん」という人もいる。古老の話によるとおしゃもじにお経を書いて、玄関の軒下に三、四本飾った家もあったという。食事と健康を祈ってのことだろうか。
小田急今昔
三協長寿会 加藤 公
今から四十数年前の話しですが今思へば当時はのんびりしていたものだった。
小田急で帰るとき
「その信号の前で停めて」などと頼んで、家の近くで電車から下りるなんて言うこともあった。
今はそんなことは到底考えられないし、若しそんなことをしたら一騒動だろうが、当時終戦の混乱期
ということもあったと思うが、なんとものんびりした田舎の風景である。
当時の小田急線は、二両連結で手動扉、静かな田園に特有の音を響かせてノンビリと走っていた。
現在は十両連結で分秒を争う正確さと、スピードで走り抜けて行く。
世の中も同様、なんとも忙しく息
せき切って走り続けているような風潮の日常になってしまった。
もう少し一息入れてゆっくりと言う訳
にはいかないものか。今の子供たちが気の毒に思えてなtらない昨今である。