秦野南地区・語り部運動資料

前触れは有るもの 
西上町老人クラブ 小川ツネ

月日の立つのは早いもので、私が嫁いでから四十五年がたちました。
 私が体験した事ですが、今から四十五年前の三月の事です。実家に居る頃の事で夕食が済み、 妹とお茶碗を洗ってふいた後、お膳に伏せて食器戸棚に納めました。
 翌日、朝御飯にしようとお膳を出したら、何んとお茶碗の糸底からお膳に真赤に血が流れて居り、 私を初め、家中の者がびっくりしておかしいと首をかしげ、「出征して居る兄に何か有ったのでは」と 心配しながら、三日過ぎました。
 忘れもしない三月十八日、東田原神社のお祭りの夕方、役場の方が二人で戦死の公報を持って いらっしゃいました。お帰りになった後で、この間の血はやっぱり前触れだったと家中で泣きました。

我が家の言い伝え
諏訪町長寿会 飯田右八

私の家では代々、次の行事について、言い伝えが行われております。理由のよく解らない面もあります。
① 一月三ヶ日は神棚の供え物は一切、男が行い、女は手を付けない。
② 何の行事も、四の日、四の月を好のみ行う。祝事等、結婚式等も。
③ ショーガ、ゴマは一切畑に作ったり、蒔いたりしない。(ショーガ苗ことが起きる)
④ 十二月三十一日にだるまと縁起物を購入。だるまは三年毎に大きくする。
⑤ 誕生祝いは原則として行ってはいけない。(昔、祝いの後、不幸が生じたそうだ)
⑥ 一月四日の山初めの行事にはおかざりと供えもちを木に供える。

権五郎さし木の「えのき」
訪町長寿会 熊沢宗治鎌倉

私の家のご先祖様は、殿様のおとしだねで、昔のことで何国米、殿より預いたものだと聞きました。
 熊沢元右ェ門が代々で、何代続いたか存じませんが、昔の家号は「江戸屋」です。江戸に御用 づとめをしていたと聞いています。
 昔は諏訪神社迄、他人の土地はふまずに行くことができたと話に聞いています。  又、お稲荷様の傍らにある「えのき」は、昔、鎌倉権五郎が来た時、さし木にしていった木と聞いて います。 その時、中町のお天王さんと峰の八幡様の三ヶ所にさしていったそうです。

ゴザ松の由来・他
今川町長寿会 横溝文吾

(1) ゴザ松の由来
 今の南が丘の団地から、中井町の砂口への途中に、ゴザ松と言われた松がありました。
 その松は、枝があまり上にはのびず、下枝が四方にひろがっている上、下の道巾があまり広くなく、 地面に草が生い茂り、昼でも暗く、子供は勿論、大人でも通るのは気味が悪かったようでした。
 現在は、その松は枯れてしまいありません。
(2) 「一貫目」といわれた土地
 今泉の白笹稲荷神社の近くの震生湖よりに「一貫目」と云われた土地がありました。そのわけは、 そこの一升分の砂は、他の土地のよりも重く、一貫目の重さがあったとのことです。

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