秦野南地区・語り部運動資料

お盆とみそ萩
上今川町長寿会 櫛田市郎

お盆の仏壇飾りの中に、丼に水を入れ、その中にみそ萩を浸しておいて、期間中、日に何回か、その みそ萩で丼の水をお清めという事だろうか。
 高齢者のいられるお宅、またいられなくとも、この風習を引きついでおられるお宅もあるようで、秦野、 平塚方面で、この風習が見られる。
お盆のときに庭先に辻を作るが、その辻にみそ萩がさしてあったと いう事も聞いている。
あるお宅では、みそ萩は仏さんの花だから庭に植えてはといわれたという話しも 聞いたこともある。

命拾いされたお不動さん
今川町長寿会 大原信男

福祉会館の前の熊沢家には不動三尊が祀られています。
明治二十年頃、今の福祉会館の所は 瑠璃光山慈眼寺(新相模薬師札所十七番)の境内で、道路側の西端には道祖神(大用寺門前のものと 他に一つ)の祭場になっていました。
 暮れの大掃除が終わると、道祖神の祭場には古くなった神棚のお宮やダルマ・神社のお札や煤はらい の竹が納められるがその中に小さいながら厨子に入った立派なお不動さんが納められていました。
熊沢さんの祖父の佐吉さん(明治6年生まれ、昭和39年没)は「これはもったいないことだ雨でも降ったら 大変だ」と不動さんを家の中の床の間にお招きして、毎朝のようにお水や御飯をあげて供養を続けてきま した。
道祖神に捨てられて一月十四日の寒のの神の火祭(トッケダンゴ)には燃やされてしまう運命に あったお不動さんは佐吉さんのお陰で命拾いをされたわけです。
佐吉さんは菓子種(最中の皮等)を製造 していられ、とても長寿な方で九十二才という御高齢で天寿を全うされました。
これはお不動さんが、お礼 のために力添えをして下さったものと思われます。 (中曽屋長寿会 熊沢昭二さん談)

水を飲みに出掛けた薬師さん
今川町長寿会 大原信男

平沢小原の薬師堂には、大人がやっと持ち上げる位いの仏足石があります。
高さは十に糎、上面は 四十一、五糎×五十一糎の自然石の凝灰岩で、表面に足あとのようなものがついています。
この石を 仏足石と認めれば、県下で唯一の珍しいものです。小原にはこの石について次のような昔話が伝わって います。
 「平沢小原には神川という川があります。村人たちは毎日何回となく水を汲んでは桶に入れ平秤棒で かついで、家まで運んでは飲み水等に使っていました。特にお風呂の水は一パイにするにはそれはそれ は大変なことでした。
 村人は一番先に汲んだ清らかな水を毎日のように薬師さんにお上げしていました。忙しい日が続く中で 村人は薬師さんに水をお上げするるのを忘れてしまいました。
薬師さんはのどがかわいてしょうがない ので、こっそりお堂を出て神川の水源に水を飲みにお出かけになりました。
村人は水をお上げするのを 忘れたなど気づかずに、次の日の朝早く水を汲みに行きました。
不思議なことに、水源の踏石に薬師 さんの足あとがついていました。
村人は水をお上げするのを忘れたことに気付きました。村人は深く薬師 さんにお詫びをして、この日から欠かさず水をお上げしました。 (小原 山口 実さん談)

沙汰面
上今川町長寿会 櫛田市郎

今泉神社周辺の電話線の電柱の標識板に「沙汰面no....」という文字が入っている。
 NTTに問い合わせたが特に由来は分からない。昔から伝わっている地名を借用しただけだという返事 で、修理のときに具体的地名が分かれば迅速に処理できるという。
 或る有識者に聞いた話だと、「北条氏の領有時代に、和田氏が支配していた地域に沙汰をした範囲の 地名の名残であろうかと」ということである。

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