秦野南地区・語り部運動資料

古狸の話
北町長寿会 山口義春

昔、大住群平沢村に一つお寺がありました。
 住職が三日ほど留守をするので、幾さんに留守番を頼んだ。その夜、一時頃、「幾さん幾さん、酒飲み に行こ」と雨戸をたたく音がした。でて行って見ると、だれもいない。二日目の夜は若衆を頼んだ。
夜三時頃、トントンとたたく。表へ出ると、黒いものが川の方へいく。それを追いかけると、石打場の 仙蔵さんの堀ぬきに入ったので、つかまえたら大きな狸でした。みんなで狸汁をつくり、酒をのんで たべてしまったという。

湯かけ・捨て子のこと
緑町長生クラブ 落合高志

(一)湯かけ
 子供の頃、よく町や村の道祖神のそばに「へいそく」を立てたさん俵が、いくつか供えてあるのを見 かけた。
これは、「湯かけ」といって、子供が「ハシカ」にかかりそれがなおるとそのさん俵を子供の頭 にのせ、笹でその上に湯をかけ赤飯を「オヅッキ」にのせ、さん俵に添え道祖神に納めたものだそうだ。 これは「ハシカ」が無事すんだお祝いの行事だという。
(二)捨子
 昔は「りちぎ者の子沢山」と云って子福者が多かった。
 男揃いの末の女の子供は育ちが悪いとかで、その子を捨て子にする。そこで女の子の多い家の人に 頼んで拾い上げてもらい、その人の子供として育てることにして家まで連れ戻してもらう。そうすると その子が丈夫に育つというこんなことがあった。

思い出の御輿造り<
清水町老人クラブ 加藤秀雄

私達が子供の頃、南地区の南町では、七月十四日のお盆の前日、御輿造りの行事がありました。
一年生から六年生までの男の子だけの行事で、上級生が総大将で、全員が当時の部落寄合所に集まり 、上級生の指示により、毎年決められた木(モミソの木、一年中青い葉のついていた)を探し求め、枝に 提灯を付けたりして、御輿造りをしたものです。
 子供等は出来上がった御輿を指差しながら、明日の天気が気になるのか、下駄など履物を高くあげ、 占い事をしたりして家路についたものです。
 当日、日の落ちる頃から、担ぎ始めるのですが、揃いの服装と云うことはなく、思い思いでした。提灯の あかりが狭い道路を照らし、「ヤッセイコーラ」と、かけ声をかけながら、また障害物にさしかかった時は、 「チンチンコーラ」と別の掛け声で部落の家庭を三日間廻り、御賽銭を頂き、それを上級生から渡された ものです。

小藤川の河童
中町長寿会 綾部 茂

むかし、生後三十一日目のお宮参りをするため、赤坊をおぶって、小藤川を渡ろうとした時、急に川 の中から河童が現れ、いきなり赤坊にとび付き、一瞬のうちに川の中に隠れたそうです。其の時、附近の人が赤坊を助けようとと川面を見ると、赤坊は息切れして死んでいたそうです。
 其の後はお宮参りには遠廻りして、小藤川をさけたそうです。それからは、子取川の呼び名もついた そうです。
 現在の南農協と南小裏の西町に通ずる道路の中間にある。

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