秦野南地区・語り部運動資料
湯掛けの行事
中町長寿会 小泉初男
昔、疱瘡で子供が高熱を出した時には、桟俵に赤飯を盛り赤い紙の旗を立てて、疱瘡神を祭り、此の桟俵を熱を出した子供の頭に乗せ、笹で湯を二度三度掛けて疱瘡熱の下がる事を祈願した。
又、この桟俵を道の辻に置いて来て、帰りには後を振り向かないで帰る様に言われた。
駒形宮のこと
西上町老人クラブ 綾部顕治
今泉西町室川に架かる白笹橋の袂に西町会館がある。その左奥の間に駒形宮があり、本尊が祀られているが、ふだんは唐紙が閉まっているので、拝めません。毎年二回、戸を開けて、馬のご本尊に
白笹稲荷神社の宮司さんに祝詞をを奉納して戴いている。毎年、春は三月十九日、秋は、九月十九日
が祭典です。前には子供をat留目、よく菓子袋を配ったこともあった。
駒形宮は以前、川向かいの栗原辰雄さんの屋敷にあったそうですが、明治三十年、相州大住郡今泉村となった頃、庄屋の清水蒔三郎さんの屋敷の川端である現在地に移された。
今から七百年前の事4,鎌倉時代、頼朝公が富士の巻狩の帰り道、大住郡の方に廻って来られた時、前の駐在所辺にさしかかる頃、白馬が元気なく歩くのがだんだん遅くなり、膝を折って座ってしまった。おいしい草を与えても食べようともせず、馬方が一生懸命介抱したが、惜しくも死んでしまった。
頼朝始め家来も悲しみ、寺の坊様にお経を上げてもらい、畑へねんごろに葬った。
その後、百姓の家には、馬が方々に飼われていたので、木彫りの白馬を造って駒形宮にお祀りした
という。